2017年4月8日土曜日

【地域起こし協力隊卒業】またね!の旅立ち。〜あき編〜

天候 晴れ
今歌 「君はともだち」トイストーリー

やっほー!!!!
大山にやってきてから、早いもので、ちょうど二年が経過しました。

ちょうど去年の今頃は、鳥取県大山町の協力隊を退任します報告をしてた頃ですね。
めちゃくちゃ驚かせてしまったけれど、周りのみなさんのサポートのおかげで、変わらず大山に残り、自分のやりたいことを少しずつカタチに出来ています。


そんな去年、協力隊観光部門として、まるまる一年ほぼ一緒に活動していたのがAKIこと坂口彰広ことアキ。実はそんなアキが、今年の三月いっぱいで鳥取県大山町を離れ、大阪へ帰ることになりました。

協力隊の同期で言えば、農業部門水野のせいちゃんに続き、大山を離れるのは二人目。
そんなアキを盛大に送ろう!!!!ということで、先日アキの送別会をしました。

今回は、写真で振り返るアキ旅立ちエントリーです。






初めての土地で、一緒にスタートラインを切る仲間がいる心強さ



あきと初めて会ったのは、地域起こし協力隊観光部門の面接前日。
そしてまさか初対面は温泉。裸の付き合いからスタートでした笑

はじめてアキと話した印象は、真逆だなーということ。
でもそれは性格が合わないとかではなく、特性が真反対なイメージ。
話しをしている時に、一緒にシゴトをしているイメージが湧いたのを覚えてます。
真反対だからこそ、めちゃくちゃワクワクしたのも覚えています。
面接が終わり東京に戻った時に、そのことを友達に話したことまで覚えています笑

地域起こし協力隊観光部門は、当初1名のみの採用だったのですが、甲乙付けがたいということで、結果として僕とアキの二人が採用されました。

地域起こし協力隊では、行政側や地域の受け入れ体制を整えることが非常に大事だと言われています。しかしそれ以上に…同じタイミングでスタートする仲間がいることはめちゃくちゃ心強い。

なぜなら、いつだって希望や不安を同じ目線ではなせるから。そしてそんな周りには見えない気持ちや想いを共有できる。それほど心強いことはありませんでした。




いつだって、関係性は、変わらない。



アキとは住居であるシェアハウスのまど間も一緒だったので、ほぼ一年間、仕事も生活も一緒でした。

大山の魅力がどうしたら伝わるか、どんな施策が大山に合うか、そもそも大山で何がしたい?!そんな大山のことを朝から夜まで考えては話して、考えては話して、そして実際行動してみて、また考えては話して。今思えば四六時中一緒に、どういうことができたら面白いかを話し合っていました。

お互い妥協ができないタイプだからこそ、納得するまで話し合って、結論が出ない日が続いた夜も何度もありました笑
でも何かを一緒に本気でやるっていうのはそういうこと。

たとえ、周りから見えないところでも、ぜったいに自分たちにだけは妥協してはいけない。その根本にある大事にしている『自分に嘘をつかない』ところが一緒だったからこそ、そこをベースにして特性の違いを活かしあえたのだと思います。

アキとの時間がなければ、こんなにも早く大山で自分がやりたいことを明確にできていなかったとさえ思います。いま思えば自分には、絶対に必要だったと思える時間でした。


ちなみにアキが旅立つ前に、想い出話しなんかをしていて…
地域起こし協力隊当時の観光担当であった國野さんのはなしで盛り上がった。

地域起こし協力隊赴任してすぐに、國野さんが大山周辺を案内してくれたはなし。
めちゃくちゃ大山への愛が伝わってきて、その時に本当に好きだからこそ伝わるものがあるんだって一番最初に気付けたのが大きかったよねと。

大山を案内してくれた誰よりも、大山の愛を感じたねーと。きっと大山に来てスグに書いた下記Blog記事の「みんな」の芯にあったのも國野さんの想い。


動いてみてまだまだ、一週間ですが、
出逢う人出逢う人、みんな大山が大好きです。
話してみるとみなさん良くしたいと言う想いを持っているのを感じます。
だけど想いを動かす時間がない。想いを動かす術がない。みなさん言います。
今日町長と地域おこし協力隊観光部門の打ち合わせでお話しさせて頂いた際に、「観光については、想いが想いのまま動かない。」(※ニュアンスの捉え方は人それぞれかと思います。)
と、ぽつんと一言おっしゃっていました。

その時にピンときました。
難しいことは考えなくていい。
大山が大好きなみなさんの想いを形にする仕事が、自分の仕事なんだ。
その想いを、自分なりの形で表現するために、ここにきたんだと。

やってやります!!!!
観光の知識やノウハウは何もありませんが、想いが乗った時の行動力は誰にも負けません。
現状の知識や能力で全てが決まる世界じゃないってことを証明する。
いつだって見えない未来にワクワクしたい。
未来は、自分の手で変える。
一緒にワクワクしたい人は、ぜひ大山へ!!!!!!!!!

(引用元:『移住 〜東京都世田谷区から鳥取県大山町へ〜』 


Blogにも書いてますが、大山が大好きなみなさんの想いを形にする仕事が、自分の仕事。
その想いを、自分なりの形で表現するために、ここにきた。
アキと一緒に少しづつ試行錯誤しながらカタチにしていく作業はとても楽しかったです。

協力隊二年目からは、僕は協力隊を辞めて別々の道を走ることになりました。
でも見据えてる方向性は同じだから、特に関係性が変わることもなく。

きっと大山を離れても、それはおんなじ。何も変わらない。
変わるのは場所だけ。

これからもお互い、別々の場所で切磋琢磨しあいましょう。
これからもずっとよろしくね!!!!
それでは、当日の写真振り返り。



アキ送別会写真集



まずはみんなで乾杯!!!


みっつとさおりちゃんと、みのりくん。


さんちゃーん!


ひろぽんとみのりくん!

せいちゃんとみのりくん!


さおりちゃんとみのりくんと自分!


実はこの日みっつの誕生日もお祝い!
おめでとう!!!!

ナイスな集合写真!!!
撮影はかわちゃん!


そしてこれがみんなの素を引き出しまくってる
ナイスすぎる集合写真!良い笑顔すぎるでしょ!!!
最高な一枚!!



以上、アキ送別会写真集でした!



PS…
実は今回のアキ送別会の主催者はせいちゃんです。
そう、あの岐阜に帰ったせいちゃんです。
(関連記事『【地域起こし協力隊卒業】またね!の旅立ち。〜せいちゃん編〜』)

アキが協力隊を辞めることを聞きつけてスグ連絡がきました。
友達想いすぎて感動した、そして岐阜から駆けつけるという。
せいちゃん本当にありがとう。アキ愛されすぎてる笑

こうやって大山を離れてもみんなが帰ってくる場所はある。
おれは大山にずっといるので、またいつでも帰ってきてねー!
それでは最後は、昭和の文豪でおわかれ。アキまたねー!!









2017年4月1日土曜日

ありがとう。


この文章は、『いまの感情を書き残しておきたい。』
ただそれだけの想いで、書き記す文章です。

自分のための文章なので、そのあたりあしからず。

3月30日(木)の夜、やすみさんが亡くなった。
平澤牧場で出会い、大山にきてからとてもとてもお世話になった人。

僕が地域起こし協力隊を辞めたあとも、地域に残り活動できる心の拠り所になったのは、やすみさんと平澤さんのふたりがいたから。

平澤牧場に安見さんの知り合いが遊びにくると、
「まーしーっていうんだ。家族みたいなもんや!!ワハハ!」
と、いつも紹介してくれていた。

ぼくが協力隊を辞めてからは、
安見さんは、大丈夫ラーメン(いつも大)や、うまいチャーハン(大盛り)を作ってくれて、「まーしーからは、金はとらん!!」と言って、一切お代をうけとろうとしなかった。

「家族からはお金はとらん!」とかたくなだった。
平澤さんも「若者を応援するためにいるんだ!助け合い!」と言って、毎日ごはんを作ってくれた。

僕が地域起こし協力隊を辞めたあとも元気にやってこれてたのは、実はそういう理由だ。
めちゃくちゃ助けられてたから、いっぽいっぽ進めてたんだ。

この一年は、安見さんと、平澤さんと一緒に過ごす時間がとても多かった。
「家族みたいなもんだ」と言ってくれたように、
本当に昔から知ってたみたいに一緒にいると落ち着けるし、楽しい時間だった。

そんな安見さんの病気が発覚したのは、去年の年末。
末期の癌。その時点で余命は2〜3ヶ月との診断だった。

そこからは、安見さんの意向で民間療法(温熱療法・無農薬にんじんジュース・気功)で癌と向き合った。もちろん痛み止め薬は使いつつ。

近くで安見さんの生き様を見ながら、「これが生きることなんだ」と何度も思った。

信じられないかもしれないけど…
三月に入ってからは、陶芸もしていた。
力がなくなっているので、僕が道具を持ちながら、二、三日おきに陶芸の作業を一緒にした。夏に向けての話しも一緒にした。

直前で体調を崩れて実現できなかったけども、
三月のまぶや一日店長では、「大丈夫ラーメンをもう一回一緒にやろう!!」と、直前までメニューの見直しなども一緒にしていた。

こんなの本当に一部。近くにいると感じる力。
いまこの瞬間を生き切ってる。

いままで自分が向き合ったことのある大切な人の死は、ぜんぶ突然にやってきた。
そのときにいのちは、いつなくなるかわからない。
だからこそ、今を生きなきゃいけない。それが、生きる根本の指針になっていた。

こうして大切な人に死が、せまってくる。
こんな死との向き合い方ははじめてで…
正直なにをすればいいのか分からなかった。

ただ安見さんへの”ありがとう”の気持ちを、言葉ではなくて行動であわらそうと思った。
さいごのさいごまで、「ありがとう」は言えなかった。
未来を向いて今を生きようとしている安見さんを近くで見ていたからこそ、言えなかった。

自分の中で「ありがとう」を言ってしまったら、未来を向いている安見さんの糸を切ってしまう気がして言えなかった。
安見さんの立場になって、必死に生きようとしている時に「ありがとう」はなんて聞こえるか考えた。きっと「さよなら」に聞こえるんだ。それってきっと悲しい。
だから、言えなかった。

亡くなる少し前、これが会える最後だと思って、平澤さんと川ちゃんと安見さんに会いに行った。
いつも通り平澤さんのことばに「うるちゃーい」とおどけてたり。
まだまだ目は強く芯があって、意識も少し合って、でも確実に弱っていて。

これが最後だと思っても、やっぱり安見さんを目の前にすると「ありがとう」を言えず、手をギュッと握りながら最後に言えたのは「またきます!」のひと言。

その日の夜、くるまで帰り途中そんなはなしを川ちゃんとしてて
『きっと「ありがとう」と言っても、やすみさんは悲しまんと思うよ。』とひとこと。

そうだな、そうだな。感謝は、感謝として伝えれば良い。
「さよなら」の「ありがとう」ではなくて、
「ありがとう」の「ありがとう」を伝えれば良いんだ。

今までのありがとうを伝える。

そして明くる日、こんどは一人で病院に安見さんに会いに行った。
家族面会のみの中、安見さんの弟さんが会わせてくれて。

会いに行くと、
それまで寝転がっていたのにむくりと起き上がってくれた。
もう身体が限界がきてて、でも目は生きてる。澄んでる。前向いてる。
やっぱりすごいと思った。すごい。

そして手を強く握りながら、
今度は何回も「ありがとう」を言った。何回も。

その日の夜に安見さんは亡くなった。

死が、せまってくる。その時に本当の人の生き様がでるのかもしれない。

今まで、いつ死ぬか分からないからこそ、今を全力で生きるんだ。
そうおもってた。そう思って、今を生きていた。

でも、もしかしたら違うのかもしれない。

いつ死ぬか分からないからこそ、今を生きるんじゃない。
いつだって生き切るからこそ、今を生きれるんだ。

だから、きっとやすみさんに後悔はない。
だって、いつだって生き切ってたから。

すごい生き方だ。近くで見れて幸せだった。
本当に本当にありがとうございます。

短い間でしたが、とても濃い実り多い時間でした。
家族みたいに暖かく受け入れてくれてありがとうございます。
やすみさんに出会えて最高に幸せでした。

生き切るからこそ、今を生きれる。
これからの人生の糧にして、
安見さんが認めてくれた今の自分で、とまらずいっぽいっぽ進み続けます。

本当にありがとうございました!!!!!
天国でも悪ふざけしながら、見守っててください。